脱出ゲームに嵌まる人は意識高い系のクズ

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※この記事は「体験型イベント Advent Calendar 2015(http://www.adventar.org/calendars/1048)」の裏企画「体験型イベント(裏) Advent Calendar 2015 (http://www.adventar.org/calendars/1289)」の自分の12月9日担当分を書き上げた後、勢いで裏の空いている日に登録した12月2日の記事です。

もしよければ、表の記事もお口直しにどうぞ。
http://tkys627.blog.fc2.com/blog-entry-39.html?sp

1.前置き

『裏』なので、対照的にとがった記事を書こうと思い、このようなタイトルを考えました。
言霊の力とは凄いものでこの記事に意識が引っ張られて、物凄いネガティブになった半年を過ごしてしまいました。

タイトルが過激ですが、私がこの記事で言いたいことは以下の通りです。

『脱出ゲーム(を勝敗に囚われて解くことを趣味としてプレイすること)に(それを振り返る暇がないほどたくさん)嵌まる人は(本質的に)意識高い系のクズ(だと気がついた自分に対する戒め。怖い。)』

2.趣味の分類について
趣味を、大きく分けて二つに分類してみました。
・結果が出る(=参加者主体によって体験結果が変わる)
・結果が出ない(=誰でも同じ体験結果)

前者の例は、スポーツをはじめとする何らかしらの競技、何らかしらの創造・作成など。(以下、能動的趣味とします)
後者の例は、一般的な読書、映画、テレビなど。(以下、受動的趣味とします)

東京マラソンを走るために、毎日走って少しずつ距離を伸ばそう。
カラーコーディネーター試験をとりたいから毎日少しづつ勉強しよう。
クイズの大会でいいところまで行けるように問題集を買って夜な夜なSkypeクイズしよう。

好きな俳優が出てるからこの映画観に行こう。
今年はベイスターズが強いから(初のCS出場おめでとう!!)野球を観に行こう。
普段はみないけれどリオオリンピックは夜中かじりついて観てたわ。

みたいな。


3.脱出ゲームが楽しい理由

さて、今回のテーマとなっている脱出ゲームは能動的趣味だと思います。謎が解けるか解けないかによって結果が変わりますから。(というより、意図的に制作者がそうしている)

ですが、脱出ゲームが他の能動的趣味と決定的に違うところがあると思います。
『能動的趣味にも関わらず努力をしなくてすむ(あるいはできない)点』です。

脱出ゲームが努力出来るか出来ないかはひとそれぞれの価値観があるかと思いますが、私は努力することで向上はしないと考えています。
同じ脱出ゲームをいくら小謎を変えて解いても、中謎か大謎か、今まで経験したことのない要素に対する閃きがメインコンテンツ(かもしれない)なので、努力が難しい。
(アルファベットの19番目を頭から数えなくてもわかるようにするなどはありますが、全体からみると微量なので割愛します。)
少なくとも、私は努力したことがありません。

上で例を出した能動的趣味とはちょっと違うと思いませんか。

この、無努力能動的趣味は凄い楽しいです。甘美です。
元々持っている自頭のよさだったり、観察力だったり、処理能力が純粋に量れるからです。能動的趣味なのに。
実績に対してではなく、人間そのものとして承認された気になるんです。

勉強しなくても、努力しなくても、成功失敗の成功がとれるんですよ?
そりゃ甘美ですよ。

4.楽しい脱出ゲームの罠

脱出ゲームのコンセプトとして、
『日常から切り離された非日常の没入的仮想体験』があると思います。
素晴らしいコンセプトです。

それを、一日で何本もハシゴしたり、毎週土日、なんなら平日も。をすること自体は全く問題ないんですが、
謎解きが『日常から切り離された』シチュエーションであるがゆえに、日常のみならず、他のシチュエーションからも切り離されてるんです。
するとハシゴするにつれ、『切り替え』る能力が身に付いてくる気がします。ある意味、社会人として必要な能力がいくつも必要とされます。

はい次、はい次、解説の間に一つの素晴らしい物語あるいは制作者のこだわりを消化して、自分の評価軸だけで表面的に○×をつける。

それは、無意味ながらことなるシチュエーションに悪い意味で馴れてしまっているのではないか。

制作者がこだわって作った謎や世界観を本当に大切に出来ているのか。というところをちゃんと咀嚼して経験することが(あるいは制作者や第三者によい影響を与えることが)大事ではないのか。

5.じゃあ何がクズだと思うのか

ここまでで話をしてきたことはそうは言っても別にいいと思うんです。どういう心持ちで参加しても。

ただ、ある程度そんなに安くないお金を、ただの時間潰しに使うのは社会人としてどうかなと思うんです。お金を自己投資にかけるのは嫌ではなく、謎解きに漠然とお金をかけるのは辞めようと思ったんです。

研修だってただ受けてると何の意味もなくて、自分に役に立つことを、意識して受けないとほぼ無駄なのと一緒。会社の費用じゃなくて自腹で受けると身が入るのと一緒。

お金をかけるからには、自分の人生にプラスになるような必死さ、ハングリーさを出していきたい。

他の参加者と仲良くするため、制作者と謎解きを通して会話をするため、最近の謎解きのトレンドを把握して何かに活かすため、頭のネジを巻き直して明日からの仕事に集中するため。

何でもいいけど、自分(自分が与える周囲への影響範囲を含む)のために時間とお金を使っていきたい。結婚もしたしね。

6.まとめ

脱出ゲームは努力しなくていいのに優劣がつく悪魔の実なので、それを食べる人次第でただの時間潰しなのか人間性を豊かにするのかが決まるので怖い。

意識高い系なのか本当に意識が高いのか、生きるセンスを写す鏡のような気がして怖い。

そんなことに今さら気がついたので、次はお茶とばぱぱぱっかそんが怖いです。

お後がよろしいようで。

でも、本当にとがった素晴らしいものは理屈も何もなくて、例え参加側がどんな心持ちで参加しても皆の心に残るんだよな。

本当に甘美というのはそういう公演に参加する、参加させることを言うのではないだろうか。

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